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18. 介護の神様-(落語風)

ある日、雲の上を歩いていたら、最初の村人に出会った。
人の良さそうなおばあさんだ。
「すみません、ちょいとものを伺いますが。介護の神様がこの辺に住んでいると聞いて来たんですが。」
「ああ、それならこの先を3雲行って左に折れて2軒目ですが。
あんた、どこからおいでなさったかな。」
「ジャックの豆の木を登って、下界からやってまいりました。」
「それはご苦労様です、お疲れでしょう。あ、神様は、さっき川で洗濯をしていましたよ。」
神様が川で洗濯? 桃太郎はおばあさんが洗濯してたのにな、と思いながら綿菓子のような道を進んでいくと、おっ! いたいた。頭の上に輪っかが浮かんでいる。神様だ。
「すみません、介護の神様ですかあ。」
「そうじゃが、何か用かな。」
「ちょっと、お願いがあってまいりました。
でも、何で神様が洗濯しているんですか? アッ、そのパンツ、ウンコが付いてますよ。」
「ん? これが介護の原点というものじゃろう。何を言ってるんじゃ。」
うさんくさそうな顔をして、こちらを見る。
「何の用だ。願いというのはなんじゃ。」
手を休めて、近くの石にヨッコラショと座る。
                 
「介護の免許皆伝の巻物があると聞いたんで、いただきにまいりましたんで、ヘイ。
それにしてもなんですね、神様が働くなんてところ見たことがありません。下界じゃ、黙って座っていればお布施やお賽銭がじゃんじゃん入って来る。神様、仏様、その筋の人はみんなそうやって大金持ちですよ。不労所得なのにエラそうにしてるんス。」
「これこれ罰当たりなことを言うでない。下界は下界、こちらはこちらじゃ。で、何じゃその免許皆伝の巻き物てのは。」
「へえ、手っ取り早く介護のコツがつかめる虎の巻ってえことで、下界じゃもう大騒ぎ。」
「そんなもんはあるわけがない。あってもお前ごとき若造に渡せるか。」
「エッ、ないんですかい。」
「おまえの空耳じゃな、夢でも見とるんじゃろう。だいたい、介護に近道があるわけがない。大学受験の時、学問に王道なし、の英文を壁に貼っとったろう。介護も同じじゃ。」
「絶句!」
「何じゃ、絶句というのは。なまいきな。
でもまあ、下界からはるばる来たんだから、一つ教えてやろう。
バリデー…、バリデー何とかという認知症の介護法がある。」
「え?バリデー何とかて、何です? 神様、大丈夫ですか。ボケていませんか。」
「アホッ、名前が出てこんだけじゃ。バ、バ、バリデ…
つまりこれは、認知症の人とのコミュニケーションを良くする方法で、認知症の人の気持ちに介護者の気持ちを寄り添わせて心をほぐし、お互いに快感を得ることで改善しようという話じゃ。」
「下ネタですか。」
「アホか。まじめに聞け。認知症の心の中の閉じ込められた感情を引き出し、そのまま認めて受け入れる。そこに自分の心を添わせ、気持ちをリラックスさせて、隅に押し込められている言葉を徐々に引き出してやるんじゃ。
まず、認知症の人に『あんたの言うことはもっともだ、よーくわかる』という理解や共感の気持ちを顔一面に表す。       
決してアホとかボケとか否定してはならん。」
「神様、アッシのことをさっきからずいぶんアホ呼ばわりしていますが。」
「おまえのようなアホはここにはおらんからそう言うとる。他にいっぱいおれば褒めとるよ。
下界じゃ アホの褒め合いをやっとるではないか。
とにかく認知症の人は自分が口にできる範囲のわずかな言葉、覚えている範囲のなけなしの昔話をしているのじゃから、その言葉でそのまま言い返してやる。その話をオウム返しにして繰り返してやることが大切じゃ。すると『自分の言うことを聞いてくれた、この人わかってもらえる、素敵、うれしいわ! 気があるのかしら。』 と感じてくれる。
例えば『おとうちゃんが…』という言葉が出たとしよう。すると、おとうちゃんと初めて会ったのはどこだったかな ? あ、そう、おとうちゃんとお見合いしたんだ。おとうちゃんと どこかに行ったのかな? そう、初めてのデートでおとうちゃんと花火大会に行って、えっ! 帰りにおとうちゃんとチューしたって? 早いよねー!というように同じ言葉をかぶせていく。ここで、決して瞬間湯沸かし器みたいだね、とか電光石火の早わざね、とか難しい言葉は使わんことじゃ。誰でもわかるやさしい言葉でな。やるよねーとか、頑張り屋さんだもんねー、とか。
そういう風に言葉を添わせることで、どんどん気持ちをハッピーにさせていく。と、いままで閉じていた気持ちや言葉が徐々に出てくるようになって、コミュニケーションがうまくなっていくのじゃ。」
「なるほど。」
「例えていえば、妊婦のラマーズ法のようなものじゃな。」
「神様、なぜバリデー何とかは思い出せなくて、ラマーズ法はすっと出てくるんですか。」
「うるさい! わしゃ、ラ行は得意なんじゃ。ランランラン、ラ〜はラッキョのラ〜♪」
「……」
「何じゃ、何か文句があるか。」
「いえ、神様、けっこうなテノールですね。天上界のドミンゴと呼ばせてください。いや、ラ王とお呼びしたほうがいいですか。」
「おちょくるな、わしゃ、お世辞に弱いんじゃ。
ラマーズ法てのはな…。」
「知ってますよ、カカアが赤ん坊を産んだときにやったやつですね。ヒッヒッフーッフーッという。」
「そうじゃ、心と体の緊張をほぐして親と胎児が息をあわせ、気持ちをも伝えて真っ暗な産道を安全に通りやすいように導く。やすらぎと癒しの母子のコミュニケーション法だ。それとよく似ておるな。」
「はいはい出ました!ラクして身につく比喩式学習法。アッシもやってみやしょう。おんなもすなるラマーズ法というものをおとこもシテミントテスルナリ、ですね。」
「土佐日記でしゃれている場合ではない。」

「バリデは身振り手振りを加えてやるのもいいな。わかりやすく。」
「鶴の求婚のダンスみたいな。二羽が羽根をひろげて…こうですか。」
「そうじゃが、あれはギャーギャーとちと騒がしいな。同じ愛の交感じゃが。」
「神様、アッシとやってみましょうか。」
「何をじゃ。」
「ギャーギャーと、交感を。」
「嫌じゃよ。何でお前とやるんじゃ。」
「一度神様という人とやってみたかったんですよ。下界じゃ手を合わせたり柏手を打ったり、お経を唱えたりするんですが、反応がいまいち返ってこない。みんな寂しい思いをしてるんです。神に見放されたなんて、しょっちゅう耳にしますよ。」
「そういわれると、返す言葉がない。お前、痛いところをつくな。」
「じゃ、いきますよ。ギャーギャーギャー、んギャーんギャーんギャーギャー」
「…ギャーギャーギャーギャギャギャーギャ」
「ギャギャギャギャギャーおギャーおギャーおギャー」
「んギャーんギャー…、いや、ちょっと待て、危うくのせられるところじゃった。こんなところを他の神に見られると何と告げ口されることか。神議り(かむはかり)でえらい目にあうよ。フーッ」
「神様、ありがとうございます。下界じゃ、救われたい人が神様にすがろうとして蜘蛛の糸をもつかむ思いをしているんです。」
「お前と話していると道草喰ってばかりじゃ。頭がおかしくなる。
バリデは何よりもゆっくりと、やさしい声でささやくようにやらなきゃいかん。ギャーギャーなんてもってのほかじゃ。」  

「バリデは、認知症の人の感情に共感し、力づけることが主眼じゃ。
いくつか言うてきたが、もう一つ大切なことはアイコンタクト。相手の目をじっと見つめて話すこと。」
「俺の目を見ろ何にも言うな。」
「アホか、ボケ! 目を見ると安心するじゃろ。あんたのことを本当に思ってますよ、いうことじゃ。心をこめて見つめるのじゃ。
これも覚えておけ、笑顔で話すのがポイントじゃ。スマ〜イル。自分がハッピーでないと相手もハッピーになれん。
大体認知症は、怒った顔や悲しい顔は認識ができんからな。」
「それじゃ、スマイルバッジのデカいのをつけてやりゃいいんじゃないスかね。」
「あきれたやつだな。なんでお前はそんなにズレるんだ。
とにかく、認知症の人となんとか楽しく言葉のやりとりができて、互いにほんわか幸せ気分になればひとまず及第点じゃ。
認知症にはいろんな症状の人がいて、場合によっては子守歌なんぞ唄ってやるのもいいな。
レ〜ムネ〜、レ〜ムネ〜、レクオテ〜ネ〜、ラ〜カムノ〜タ〜♪ 」
「天上の子守歌ですか。シューベルト作曲?」
「何でもいい、やさしい声で歌って認知症の人の乱れた気持ちや言動を少しでも穏やかなものにできれば文句なし、免許皆伝ということじゃ。」

「しかし、なんでお前は江戸っ子みたいなしゃべり方をするんじゃ。落語じゃあるまいに。」
「すみません、水戸黄門の見過ぎですかね、つい出ちまうんで。」

「もう一つ、わしがみんなに言いたいのは、汚れたパンツから発想すること。」
「なんすか、それは。」
「これまで人間の思想はことごとく上から下、頭や口から尻への流れで考えられていた。これを逆に尻から口、頭へと逆流させて発想したらどうなるか。」
「禅問答みたいでよくわかりませんね。
下界じゃ、トイレの神様という歌が流行っているんですが、介護の神様もトイレがお好きですか。あっ、それともそっちの神様とご兄妹かなんかで。」
「もうお前には何を言ってもわからんな。いいか、これは宿題にしておく。鈴木大拙の本でも読んでおけ。」

「見捨てないでください、神様。こうなったらアッシのへそくり、いや胸の奥に4つにたたんでしまってあるものを白状します。
徳之島の長寿世界一のおばあちゃんを介護した娘さんの言葉。
『20年間介護させてもらって本当に私は幸せです。母から幸せをいっぱいもらいました。母を独り占めして他の兄妹に本当に申し訳なかったと思っています。』
これです、この心境です。介護の神髄を会得して、なんとかこの心境にたどりつきたい。お願いしますよ、神様。」

「大体、お前みたいな一言多い奴とか、人間の本筋をわきまえん奴は介護に一番向いとらん。
おまえ、高校生の時、農作業の手伝いをさぼって女の子と映画を見に行ったそうじゃないか。お前の親父が、あいつはそっち方面だけ真面目になりやがって、どうしょうもない役立たずだと嘆いておったぞ。
それにお前、話もよくズレるが、ウフッ、赤ん坊の時 未熟児で生まれたくせにあそこだけは立派で、しょっちゅうオムツをズラしてたそうじゃぞ。そんなオムツを喜々として取替えてくれたのは一体誰だったか、人並みに近いその頭でよーく考えてみろ。」
「ご隠居さん、いや神チャマ、ご冗談を。ここでそんな話を持ち出さなくてもいいじゃないですか。十分わかってるんでござんすから。」

「とにかく介護は実践あるのみ。桃栗三年、介護八年。一年や二年でピーチクパーチク騒ぐな。わかったら、とっとと下界へ消え失せろ!」
「オーマイガッ! Yes Sir ! やります、神様。 I'm japanese. Dreams come true …OK牧場… 

…ん? ここはどこだ。母の病室でうたた寝をしてしまった。体調をくずして入院している母が、こちらを不思議そうに見ている。トイレにいかせる時間だ。やらなきゃ。I'm japanese.

窓の外では、小枝に宿った二羽の小鳥が仲良さそうに話している。ピーチクパーチク ランランラン…      
 (「人間ハナンテ面倒ナ動物ナンデショウ」「何カデ悩ンデナイト一日ダッテ生キテラレナイノヨネ、キット、ピーチク」「ソウヨソウヨソウナノヨ、バーチク」「私タチハ唄イマショー」 ランランラン、ランランラン〜♪)


                                                     
 ※ バリデ = バリデーション。 詳しくは関連サイトをご覧ください。
by nandemodoor1277 | 2010-12-23 17:14 | Comments(0)
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『一休風人』; 森川哲彦 団塊の世代。岡山県生まれ。東京の大学、広告会社等勤務を経て帰郷。
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